誰だってなりたいもの、やりたいこと、大切にしたいものは持っている。
小さいとき憧れてたもの、純粋に自分の興味で進んでみたかった世界、自分の身近な人のかっこいい姿を見て、まねしたい、あんなふうになりたいと思ったこと。
そんな純粋な憧れは口に出したくなる。
大好きな歌手のライブに中に「かっこいい!!」と叫ぶように、大好きなマンガを読み切った後その感想を誰かに伝えたくなるように、私たちは憧れのものを目にしたときやそれに触れたとき、自分の持っている熱い想いを誰かに伝えたくなる。
私たち自身の夢だって同じ。自分の持っている夢を誰かに語りたい。
そう思っていてもバカにされるのが怖くて、無理だと言われるのが嫌で話せないこともある。
私も実際に否定されたことがある。それだけじゃ何にもならないと言われてしまった。もっともな言葉に聞こえて私はうなずいてしまった。自分でもそうかもしれないと思ったぶぶんがあったから。それが4年前。
でも4年たった今、私はそのときのやりたかったことに手を伸ばしている。
4年間ずっと覚えていたわけではなかったけれど、それに関する雑誌や特集が組まれている記事を見つければふと立ち読みして、テレビやラジオもそのことが話題に上がればふと手を止めて聞いた。そんなずっと心の中にあった私の”したい”をもう一度追いかけ始めた。
私たちは外の環境の影響を大きく受ける。仲の良い人や身近な人であればあるほどその声は届きやすいものになる。でもその言葉に縛られる必要はないんだ。
私たちは自由だ。自分のことは自分で決められる。
私たちは自由だ。自分のやりたいことは自分で選んでいい。
その代わり自分で決めたことだから、何かあっても誰かのせいにしないと決めて乗り越えていくこと。そのときに誰かの手を借りるのは問題ない。自分だけの力で乗り越えられないなら、誰かの力を借りればいい。
誰も私たちを縛ることなんてできないんだ。抑え込むなんてこと、本当はできないのだから。
私たちの自由は私たちのものだ。私の”したい”は私のものだ。
だから私は歌い、大好きなことに取り組み続ける。