ある日友人の相談に乗っていたらこんなことを言われた。
「メンヘラになってるときは相談しに来るね」
心が弱ってるときにまた相談に来たいということだったのだが、最近そういう相談を持ち掛けられることが多かった。そのことについて友人に話してみるとこんな答えが返ってきた。
「悩みを吹っ飛ばしてくれそうな陽キャに見えるからじゃん?」
自分がそんなふうに見えているかもしれないことに初めて気づいた。ではなぜそのように受け取ってもらえるのだろうと考えるとある一つのことが思いついた。
それは、気にしていない ということだった。
もちろん相談されたときはその人を笑顔にしたいと思って聞くから、できるだけいろいろな方面から話を聞き情報を集めていく。
そして聞いた話をもとに情報を整理して、私が何を伝えたらその人の心のモヤが晴れたり、気付きたいことに気付けるかを考え私の言葉を伝える。
そのとき、必要以上に自分事としてとらえないのだ。
悩みは聞くし、相談にはのる。それでもその悩みは私の悩みではなくその人の問題ということ。私には私の人生があり、その人にはその人の人生がある。私が今までしてきた経験が何かの役に立つならいくらでも話すが結局物事の解決はその人自身がやるしかない。
そしてもうひとつ。
私はどんな相談を受けているときでも、「あなたならきっと乗り越えられるでしょ」という前提でいる。
相談してくるということは、その悩みを乗り越えたいと思っていること。
でも一人では不安だったり、自分が取ろうとしている選択が本当にそれでいいのか心配になることもある。
そんなときに「大丈夫だよ」と背中を押してあげるだけ。その人を信じ、その悩みを乗り越えられると信じる。ただそれだけだ。
私が私らしくあり、相手を勝手に信じることで悩んでいる人を照らすことができるなら、いくらでも照らしてみせる。