夜遅くまで残ってた部屋の反対側から聞こえてきた。
「今回の表彰も、純粋に内容や発表に対しての票ならこっちのほうが多くて。」
「賞を取ったところは資料が多くて飛ばし気味だったし、発表クオリティならほかのところでも同じくらいのところはあった。」
「それでもそこのやってることは範囲が広いことでニッチすぎない面白さがある。」
「発表が負けたとは思ってない。それでもこの順位が付いたってなると発表とかまとめ方そこまで聞いてないでしょ~笑 ってなるよね。」
「もう一つの賞もバランスをとってそこになった感じだからね、純粋に評価しちゃうとあまりに偏っちゃうから。」
机の向こう側から聞こえた話。自分のすぐ近くでそんなことが起こっていたんだと気づく。
世界はバランスで成り立っているから、そのバランスをとる力が上の方で働いて、自分の力ではどうにもならないこともある。
でもそれは社会を回していくためには必要なことで、昨今の平等や均等という声を考えると大いにあり得ることではあるんだろう。
でも私たちがいざその判定される側になったとき、それはすんなりと受け入れられることだろうか。
誰かと比較されることや、集団の中で順位をつけられることは、今も、これからも、たくさんあるかもしれない。
だからこそ、自分が満足できているかが大事なんだと思う。
他人の評価ではない、自分軸の評価。私たちが私たちに対して想う気持ち。
他の人と関わりあって生きていくその中で、自分のものを純粋に評価してもらうことができないということが起こるかもしれない。
そんなとき、私だけは、私たちだけは、自分がやったことに対して満足してる、やり切ったよ、楽しかったと思えるか。
それが一番大事なことなんじゃないかなと思う。
「それなら次はあそことあそこに力入れようって思って。」
もう次に向けての作戦を立てていたその人はとてもかっこよかった。
いつだって、私たちの幸せを決めるのは私たち自身だからね。