10分日記

泣くのを許さないのは、自分だった

年末年始にかけて自分の今までやこれからやりたいことについて整理してみたため、今まで嬉しかったことや悲しかったことを思い出す機会が増えた。

正直な話、嬉しい記憶もあったけれど悲しい記憶ももちろんあった。ショックな記憶の方が人間危機管理能力の関係で覚えていやすいらしく、当時大分つらかったことが思い出されたりもした。

それでも私が泣いた記憶はなかった。いつもいつも笑っていた。

つらいとうつむく時間もかなり短かった。本当に数分とか一瞬とかそんな感じだった。どうしてと言われてもそんなものだった。それ以上引きずっていても現状が変わることはないと分かっていたから。

一瞬うつむいたり、言われた言葉に対してフリーズしても、次の瞬間には笑顔だった。笑顔で明るくしゃべっていた。そしてみんなと笑っていた。

外でのことだろうと家でのことだろうと関係なかった。全てそうだった。相談することも苦しいと訴えることもなかった。いつもいつも笑って日々を過ごしていた。心がボロボロになって悲鳴を上げていることにも気づかずに。

今ならわかる。どうしてその当時私は笑っていたのか。今も大丈夫と言い続けていたのか。それは、自分がその状況がつらいと認めたらその状況の中では生きていけないと分かってしまうからだった。

苦しかった。叫びたかった。逃げ出したかった。

でも私はその場所から逃げるすべがなかった。

その場所で生きていくしかなかった。

それ以外の選択肢はなかった。

それ以外知らなかった。

涙を流してしまえば辛いと認めることになる。自分で認めることになる。そしたらなぜ私はそんな場所で生きているのか分からなくなる。何のためにこの努力を必死でしているのか分からなくなる。

ただ生きていくために、その場所で生きていくしかないがために、逃げ出す力がないがために、心を削ってえぐって傷ついているということを認識せず、笑って生きていくことが必要だった。

そうでもしないともう自分自身が限界を超えてたから、笑って自分をだますしかなかった。辛くない、何でもない平気なことだという認識が真実だということにする必要があった。それが真実でなければ、私の心は保てなかったから。

辛いときは泣きたかった。苦しいと言って泣きたかった。本当に耐えきれなくなっときは一人で静かに泣いていた。でも基本的にずっと笑っていたのは、私自身が泣くのを許さなかったからだった。

泣いたら、辛いと認めたら、今この状況で心を削りながら生きている私は何なのだと、今の自分では抜けることが出来ない世界で生きていくしかないその理不尽さに耐えられなくなってしまうから。

何か意味があるはずと信じなければやっていられなかった。

つらくてもつらくてもつらくても、きっと乗り越えれば状況は変わると。今の状況を生きていくためには、乗り越えるためには、この状況の理不尽さに、つらさに気付いたらやっていられないと。

自分を守るために、泣くことを許さなかった。

抱え込んだのは誰かのせいじゃない、自分が自分を守るために心を傷つけ続けることになってもその場所で生きていくために、辛いと感じているその感情を認めなかったのだ。泣くのを許さなかったのだ。

きっとこれはその時とれる最終手段だったのだと思う。自分を守るための。

「人間自分に一番厳しい」ということは割と耳にする。

もしかしたら私たちを一番許していないのは、認めていないのは、私たち自身なのかもしれない。それは今の状況で生き抜くために、やってられないと自分の人生を投げ出してしまわないように、私たちが決死の想いで振りかざす諸刃の剣なのだろう。

もしその剣をふるっているなら、「つらかったよね」と言ってあげていいのかもしれない。

そのことを認められれば、もっと違う、自分がとれるかもしれない最善の選択肢や現状を打開する方法、本当の希望の光が見えてくるかもしれないから。

ABOUT ME
りゆ
本と音楽と水が好き。階段で子供と全力グリコじゃんけんをするのが本職。趣味は作詞作曲歌みた作り。週1ラジオ #りゆトーク Spoonで配信中。「自分の知りたかったは誰かの知りたい」という信条とノリでりゆブログを更新中。